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英語と私 鈴木 滋

第二言語として英語を習得した講師たちの体験談

英語のプロが今までどのように英語を学んできたのか、英語とどのようにかかわってきたのかをご紹介します。

最初に

これまでの私自身の英語習得のプロセスを振り返ってみて、大きなブレイクスルー(Breakthrough)は一度もなかったように思います。むしろ小さなブレイクスルーの積み重ねで今に至っているように思います。

英語を習得するプロセスでは、その時は出来なかったことが、後になってできるようになることも多くありました。その一方で、いつまでたっても出来るようにならず、今も出来ないままのことも数多くあります。

大学1年の英語の授業で初めて外国人講師に英語を話したときから、大学2年生で参加した語学留学、大学を1年休学してワーキングホリデーを使ってカナダ滞在、アメリカへの大学院留学、卒業後にアメリカの移民に英語を教えるに至るまでに経験したブレイクスルーと困難(Challenges and difficulties)をご紹介したいと思います。

大学1年生

Breakthroughs

大学一年生のときに、外国人の英語の先生におそるおそる英語で話しかけ、それが通じたときの喜びは今もよく覚えています。何を言ったのかはよく覚えていませんが、これが人生で初めて外国人と話した経験です。

Challenges and difficulties

不真面目な学生で、英語の授業にまじめに取り組まなかったためあまり苦労した記憶がありません。この当時は英語のクラスの単位を取得することだけが目標でしたので特に困ったことはありませんでした。

語学留学

Breakthroughs

大学2年生のときにアメリカのアイダホ州に5ヵ月間語学留学をしました。これが私の初の海外経験です。日本で同じ大学に通っていた約50人の同級生と一緒に留学したので不安はありませんでした。留学初日に大学の寮にいる同年代のアメリカ人に「Hello」と言ったのですが通じなかったため、それ以降はいつも「Hi」と言って挨拶をしていました。どんなに発音が悪くても「Hi」は通じました。

初の海外生活は何もかも新鮮でありましたが、英語ができないことから生じる不便さは数えきれないほどあり、それを克服するたびに小さな達成感を感じていました。例えば、初めてマクドナルドに行った時にセットメニューを見て「ナンバー3、プリーズ」と言ってその商品が出てきたときとても嬉しかったです。その時に友人から「Can I have…?」で注文することを教えてもらいました。その友人が注文をするのを見て「カッコいいなあ」と思いましたが、今思うと大したレベルではありません。

この5ヵ月間で、サバイバルイングリッシュを習得しました。簡単な挨拶、買い物、レストランに行って食事をしたり、ホテルを予約したりすることができるようになりました。アメリカにいながらも日本人の友人とほとんどの時間を過ごしていたので、限られた表現をやりくりすることで英語での日常生活を過ごすことができました。最初はまったく話せなかったので大きな上達と言えると思います。

Challenges and difficulties

この頃の私は、言いたいことは事前に準備をすれば言うことができたのですが、相手の言っていることが聞き取れず受け答えに困ることは多かったです。CDプレーヤーを買った時、店員さんの質問が分からずとりあえず「Yes」と答えたら、電池を10個買わされていたこともありました。

この頃常に感じていたのが、私自身の英語は、英語学習者と話すことに慣れているアメリカ人にしか通じないことでした。加えて、テレビでトークショーやニュースを見ても全く理解できませんでした。雑誌や新聞を読んでも知らない単語ばかりで理解出ませんでした。ネイティブスピーカー同士で話している輪に入ることは殆どなく、たまに入ることがあったとしても会話はさっぱり理解できませんでした。

ワーキングホリデー

Breakthroughs

アイダホ語学留学が終わった後、日本の大学を一年休学しました。そしてワーキングホリデーを使ってカナダのエドモントンに10ヵ月滞在しました。そこでは語学学校に通いながら、日本食レストランで働いていました。

日本食レストランの従業員の国籍は、韓国、中国、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシア、インドなど様ざまで、日本人は4〜5名しかいませんでした。ここでは英語を母国語としないノンネイティブスピーカーと話すことを経験しました。英語を母国語としない人が話す英語は聞き取りやすく、彼らが使う英語表現の多くは「私でも使えそう」と感じるものが多く、実際に真似してよく使っていました。さらにノンネイティブスピーカーと話すときは、ネイティブスピーカーと話すときに感じるような英語ができない引け目を感じることなく、対等に話せていましたし、ネイティブスピーカーと話すよりも、英語がはやく上達する感覚がありました。

10ヵ月間のカナダ滞在で、日常会話ができるようになりました。毎日の出来事について話したり、趣味の話をしたり、話せる内容の幅が広がりました。

Challenges and difficulties

このときもカナダ人の話す英語はよく聞き取ることができませんでした。すこし込み入った話になると理解できなくなりました。テレビやトークショーで聞き取れることは多少増えたと思いますが、分からないことの方が多かったです。誰かがジョークを言っても、ジョークに聞こえないので、周りは笑っているのにひとりシーンと静かにしていて気まずいので後から少し笑っておくこともよくありました。

実は、このときの私のルームメイトはカナダ人のネイティブスピーカーでした。彼の話す英語は聞き取りやすく、彼が他のネイティブスピーカーと話していても彼が話していることはよく聞き取ることができました。ネイティブスピーカーも様々なのだと思います。しかし、今現在、英語講師として思うのは、一般的にはネイティブスピーカーの英語を触れることは英語モデルとして重要な役割を果たしても、自身の英語レベルとの差がありすぎるときは、それが「自分で使える表現」になりにくいのかもしれません。

大学院留学

Breakthroughs

大学を卒業して、アメリカカリフォルニア州の大学院に入学してからは、毎日朝から晩まで、宿題として課されたリーディングの課題を読んでは、レポートを書いてを繰り返しました。授業に行くと、その内容について教授のレクチャーを聞き、クラスメイトとディスカッションすることを繰り返しました。最初の半年はすべてが大変で毎日冷や汗をかいておりましたが、不思議もので半年したら慣れてきました。この辺りから、急に日常会話が簡単に感じるようになりました。

普段から難解な文章について、読み、書き、聞いて、話すことで英語力が上がり、あまり内容に深みのないワイワイ話す日常会話が簡単に感じることができたのだと思います。英語教育の分野では、読み、書き、聞く、話すの4つのスキルをバランスよく学習する英語力が伸びると言われていますが、私自身がそれを体験しておりその通りだと思います。

私のいた学部には日本人留学生が3-4名しかいなく、同じクラスを受講しなければ殆ど合うことはありませんでした。その頃の私は一軒家に7人のアメリカ人とハウスシェアをしていたので、最後の1-2年は日本語を使う機会がほぼなかったので、独り言も英語で言って、夢も英語で見ていました。それにふと気づいたときはちょっとしたブレイクスルーを感じました。(この状況は英語力は付いていたとしても、日本語を忘れていくので注意が必要です。帰国するとヘンな日本語だと友人に指摘されました。)

この頃になると、テレビを見ていても何を言っているのか理解できるようになり、トークショーを見ていてネイティブスピーカーと同じタイミングで笑うことが多くなりました。(ちなみに、ネイティブスピーカーが笑わないポイントでなぜかひとり笑っていたことも何度もありました。)

大学院留学の1年目くらいまでは、英語を話せるようになるだけでなく、アメリカ人のように振る舞うことも英語習得の一部のように無意識に思っていたように思います。しかし、少しずつそこに違和感と無理を感じるようになってきたので、ふだん日本語を話すような感覚で、英語を話すことにしました。日本人として、そして自分らしく振る舞いながら英語でコミュニケーションをとることに切り替えたら一気に気持ちが楽になりました。

他にも、言語学のクラスを受講していたとき、クラスメイトのアメリカ人から「禅」について質問されました。彼は宗教学を専攻していて、日本人である私に聞けば教えてもらえると思ったのでしょう。しかし、私は彼の質問に答えることはできなかっただけでなく、彼の質問もよく理解できませんでした。そこで、彼にお願いして大学で使用されている教科書「Introduction to Zen Buddhism(DT Suzuki)」を紹介してもらい数カ月かけて読破しました。何度読んでも分からない点は、そのクラスメイトに質問して解説してもらいました。日本人がアメリカ人から禅を教えてもらうことは恥ずかしいことではありましたが、禅問答のようなつかみどころのない話を英語ですることで、それまでできなかった抽象的な話題を英語ですることができるようになりました。加えて、日本人であることをより意識をするきっかけにもなりました。

Challenges and difficulties

ちなみにこの当時の私はアメリカ人7名と一軒家をシェアしておりました。メンバーは途中で何人も入れ替わりましたが、プロミュージシャンやプロスケートボーダーなどユニークな方々と共同生活をしました。彼らの話す専門分野の話は何度聞いても分かりませんでした。いつか分かるようになるかもしれないと期待はしましたが、もともと日本語ですら知識がないことを英語で聞いて理解することは難しかったです。加えて、彼らが話す英語は、教科書では習わないスラングが多用されたストリート系の英語で、慣れるのに時間がかかりましたが、最後まで分からなかったことも多かったです。

この頃になると、英語を使うときの得意分野と苦手分野がはっきりしてきました。例えば、私の場合は「教育」の分野については難しいと感じることは減りましたが、それ以外の例えば「政治」や「科学」などの分野は難しいと感じていました。今現在も英語学習中ではありますが、もっと多くの分野で不自由なく大人の会話ができるようにはなりたいです。

最後に

私が英語を習得するプロセスを思い返すと、本格的に英語学習を始めたのはかなり遅かったと思います。帰国子女でもなければ、英語に強い学校に通ったわけでもありませんが、英語学習を辞めずに続けたことで英語の講師になることができました。英語学習に多くの時間をかけたと思いますが、英語学習を続けることができたのもの数多くの小さな達成感やブレイクスルーがあったからだったと思います。

鈴木 滋
カリフォルニア州立サンホセ大学大学院修士課程修了(TESOL)、亜細亜大学卒(経営学)

アメリカで英語教師としてのキャリアをスタートし、世界中の方を受講生に持ち数多くのクラスを担当。帰国後はビジネスパーソンを中心に担当し、幅広く活躍している。これまでに約200社以上にてビジネスコミュニケーション・TOEICⓇテスト対策・E-mailライティング・会話のための英文法など、幅広い英語研修を担当。これまでに教えて受講生数は約4,000人。教材開発や新しい教授法の開発にも熱心。英語講師に指導法の教育も行っている。スクール運営にも携わる。
◆共著:英語運用力 Output Level 1 & Level 2 (一般財団法人 国際教育振興会 日米会話学院)